ぐんぴぃのバキバキ童貞伝説!笑いと涙のエピソード大公開

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「春とヒコーキ」のぐんぴぃと言えば「バキバキ童貞」の異名で知られています。その由来は一体どこから来たのか?

2019年のABEMA NEWSでのインタビューが発端となり、SNS上で一躍有名になったぐんぴぃ。

彼の名前の由来や、お笑いコンビ結成の経緯、そして「バキバキ童貞」誕生の秘話を振り返りながら、笑いと涙のエピソードをお届けします。

ぐんぴぃのバキバキ童貞って何?その由来と背景

みなさん、「春とヒコーキ」のぐんぴぃってご存知ですか?彼の本名は山口大樹、そして彼にはちょっと変わったニックネームがあります。それが「バキバキ童貞」。

なんともユニークなこのニックネーム、一体どこから来たのでしょうか?

すべては2019年、ABEMA NEWSのインタビューがきっかけでした。このインタビューは、「性交渉経験率」と「収入」の相関関係を調査するというテーマで行われました。

その際、街頭でインタビューを受けたぐんぴぃが、自身の性体験について尋ねられ、「あ、僕バキバキ童貞ですね」と答えたのです。

この「バキバキ童貞」というフレーズはすぐにSNSで話題となり、ぐんぴぃは瞬く間にネット上で有名になりました。

彼が「バキバキ童貞」と名乗った背景には、少々コミカルなエピソードがあります。実は、彼はインタビュアーからの質問をAVの撮影と勘違いし、「これは女優との絡みがある」と大いに期待していたのです。

そのため、めちゃめちゃウキウキしながら最後までインタビューに応じていたというのが真相です。

このインタビューの後、ぐんぴぃはネット上で「バキバキ童貞」としての知名度を獲得。彼のキャラクターと相まって、「バキバキ童貞」というニックネームが定着しました。

また、このミーム化により、彼はYouTubeチャンネルを開設し、「バキバキ童貞」としてのキャラクターを前面に出して活動を開始しました。現在では、彼のチャンネル登録者数は100万人を超えるまでに成長しています。

春とヒコーキってどんなコンビ?結成と軌跡

「春とヒコーキ」は、タイタンに所属する日本のお笑いコンビで、2017年に結成されました。コンビ名の由来は、土岡哲朗の幼馴染「春彦」から取られたものですが、詳細は後ほどお話ししますね。

メンバーは、ツッコミ担当の土岡哲朗(1992年2月21日生まれ)と、ボケ担当のぐんぴぃ(本名: 山口大樹、1990年3月31日生まれ)。

この二人の出会いは青山学院大学の落語研究会でした。そこで先輩後輩として知り合い、お互いの才能に惹かれ合ったのです。

土岡哲朗は、栃木県宇都宮市出身で、父親は医師というエリート家庭の出身。幼少期から落語に親しみ、大学でも落語研究会に所属していたため、そのスキルは折り紙付きです。

対して、ぐんぴぃは福岡県北九州市出身。彼もまた、大学時代に落語研究会で活動し、その後の社会人経験を経て、お笑いの道に進むことを決意しました。

コンビとしての初舞台は「M-1グランプリ2016」にアマチュアとして出場した時のこと。まだ「ポピンジ」という名前で活動していましたが、これが「春とヒコーキ」としてのスタートとなりました。

その後、タイタンの養成所「タイタンの学校」2期生として入学し、正式にお笑いコンビとしての道を歩み始めました。

彼らのコンビ名「春とヒコーキ」は、当初土岡がぐんぴぃに「春彦」という名前を付けようとしたところ、ぐんぴぃがこれに難色を示し、最終的に「春彦」に由来する「春とヒコーキ」に決まったという経緯があります。

彼らのネタは、土岡の緻密なストーリー構成と、ぐんぴぃの独特なキャラクターが融合したもの。特にぐんぴぃの「バキバキ童貞」というキャラクターが大きな話題を呼び、多くのファンに支持されています。

2020年には、タイタンに正式に所属し、2021年には地上波の初レギュラー番組『研修テレビ!!』にも出演を果たしました。

土岡哲朗との運命的な出会いとコンビ結成の秘話

土岡哲朗とぐんぴぃ(本名: 山口大樹)の出会いは、青山学院大学の落語研究会でした。当時、土岡は大学で落語研究会に所属しており、関東落研連合の9代目総長を務めるほどの実力者でした。

一方、ぐんぴぃもまた、同じ落語研究会に所属し、「五里家馬七(ごりやばなな)」という高座名で活動していました。

二人が初めて顔を合わせたのは、落語研究会の新歓イベントでした。その時、ぐんぴぃは先輩として後輩の土岡に目をかけ、互いのユーモアのセンスに強く惹かれ合ったそうです。

土岡は、ぐんぴぃの独特なキャラクターとプレゼン能力に感銘を受け、ぐんぴぃは土岡の緻密なネタ作りと落語の技術に敬意を抱いていました。

大学卒業後、土岡は就職活動に失敗し、3年間ニート生活を送っていました。その間も、彼はお笑いへの情熱を捨てることなく、再びステージに立つことを夢見ていました。

一方、ぐんぴぃはブックオフコーポレーションで正社員として働いていましたが、次第にお笑いへの道に戻りたいという思いが強くなっていきました。

ある日、土岡はぐんぴぃに連絡を取り、お笑いコンビを結成することを提案しました。「一緒に笑いを届けよう」と。

ぐんぴぃはその提案に快く応じ、「春とヒコーキ」が誕生しました。公式には2017年4月に結成とされていますが、実際にはその前から「ポピンジ」という名前でM-1グランプリ2016にアマチュアとして出場していました。

この運命的な出会いとコンビ結成の背景には、二人の熱い情熱とお互いを認め合う心がありました。彼らは共に成長し、互いの強みを活かしながら、お笑いの世界で名を上げていくことを誓いました。

「春とヒコーキ」の成功の背後には、土岡とぐんぴぃの深い友情と強い信頼関係があります。

ぐんぴぃの名前の由来は?改名の真相を大公開

ぐんぴぃ(本名: 山口大樹)の名前の由来には、非常にユニークで面白いエピソードがあります。実は、彼の芸名「ぐんぴぃ」は、ピングーを逆さ読み(業界用語読み)したものなんです。

この名前に改名する前は、本名の「山口大樹」で活動していました。

では、なぜ「ぐんぴぃ」という名前に改名したのでしょうか?それは、彼自身の人生観の変化がきっかけでした。

2018年、ぐんぴぃは「辛いことが多すぎて、これはおれの人生じゃない。“ぐんぴぃ”が勝手にやってること」と自分自身に言い聞かせるために改名を決意しました。この独特な考え方が彼のユニークなキャラクターを形成しています。

また、ぐんぴぃの改名の背景には、芸名に対する強いこだわりもありました。彼は「山口大樹」という名前が、ネット上で「デブっぽい名前ランキング」の上位に挙げられたことにショックを受けていたのです。

そのため、彼は自分自身を新たな名前で再定義することを望んでいました。

ぐんぴぃの「ぐんぴぃ」への改名は、彼の人生における重要な転機となり、彼の個性的なキャラクターがさらに際立つきっかけとなりました。

この改名により、彼は自身を新たに定義し、より自由に、お笑いの世界で輝きを放つことができたのです。

このように、ぐんぴぃの名前には深い意味と面白いエピソードが詰まっています。彼のユニークなキャラクターと、名前に込められた思いが、多くのファンに愛され続ける理由の一つです。

ぐんぴぃの爆笑エピソード集!笑いと涙の舞台裏

大学時代の落語研究会での活躍

大学時代、ぐんぴぃは落語研究会に所属し、「五里家馬七(ごりやばなな)」という高座名で活動していました。

彼は大学のプレゼン大会で2年連続優勝するなど、プレゼン能力にも優れていました。この特技を活かし、多くの人を笑わせてきました。

特に「歯を鳴らして曲を奏でる」という特技は、観客を驚かせること間違いなしです。

サンリオとラーメン二郎への愛

ぐんぴぃの趣味として有名なのが「サンリオ」と「ラーメン二郎巡り」です。彼はサンリオキャラクターが大好きで、特に「ポムポムプリン」がお気に入り。

サンリオピューロランドにも頻繁に足を運び、そのエピソードをSNSに投稿しています。また、全国のラーメン二郎を食べ歩き、その味をランキング付けするという独特の趣味も持っています。

墓巡りの独特な趣味

ぐんぴぃのもう一つのユニークな趣味が「墓巡り」です。彼は歴史的な人物や有名人の墓を巡り、その場所で感じる歴史の重みを楽しんでいます。

このような趣味を持つぐんぴぃの感性は、彼のキャラクターを一層魅力的にしています。

「バキバキ童貞」としてのYouTube活動

「バキバキ童貞」として知名度を上げたぐんぴぃは、YouTubeチャンネルを開設しました。

当初は乗り気ではなく、不機嫌そうに出演していた彼ですが、AV業界からのコラボオファーが来始めると、次第にやる気を出し、現在ではチャンネル登録者数が100万人を超えるほどの人気を博しています。

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