美しい女優として知られる松本若菜さんですが、実は10年以上にわたる苦労の連続だったことをご存知ですか?雨漏りアパートに住みながら、週8回バイトをこなし、芸能界の夢をあきらめなかった日々。この記事では、「仮面ライダー電王」でのデビューから、華やかなブレイクの裏にある“誰にも言えなかった下積み時代”を、働く女性目線で振り返ります。
女優を目指したきっかけと上京前夜

芸能界入りの始まりは“奈美悦子の一言”
松本若菜さんが女優という道に出会ったのは、まだ高校生の頃のことです。
地元・鳥取のとあるイベントに参加していた際、なんと女優・奈美悦子さんから「あなた、芸能界に向いてるわよ」と声をかけられたそうです。
当時の松本若菜さんは、いわゆる“華やかな世界”とは距離を置いていて、ごく普通の高校生活を送っていたとか。
そのためスカウトを受けても即答で断り、芸能の道には進まなかったんです。

その場で断れるって、逆にすごく芯のある子ですよね。
ただ、奈美さんとの出会いは、彼女の心のどこかにずっと残っていたようです。
声をかけられたことをきっかけに「もしかしたら、自分には人前に立つ何かがあるのかもしれない」と、無意識に思っていたのかもしれません。
就職→上京…22歳でようやく夢への舵を切る
高校卒業後は、地元で就職をして、美容部員や美容室の受付として働いていた松本若菜さん。
一見すると安定した社会人生活に見えますが、本人の中では「このままでいいのかな?」という葛藤が募っていたそうです。
22歳のある日、松本若菜さんはその思いに正直になる決意をします。
もう一度、自分に可能性をくれたあの人を頼ってみよう。
そう思い立ち、奈美悦子さんが所属していた芸能事務所に連絡をとり、上京することにしたのです。
親の理解も得た上での決断だったとはいえ、地方から都心への単身上京。
決して軽い選択ではなかったでしょう。
それでも彼女は、自分の人生を変えるための「一歩」を踏み出しました。

地元から東京って、本当に勇気のいる一歩よね。
そして、その年に特撮ドラマ『仮面ライダー電王』で女優デビュー。
まるで順調なスタートに見えますが、ここからが“長い下積みの始まり”だったんです。
週8バイトと調理師免許で食いつなぐ日々

バイト漬けの毎日…芸能の仕事は「ゼロ」に近かった
華やかな女優の世界とは裏腹に、松本若菜さんの実生活はバイトに追われる毎日でした。
芸能事務所に所属してからも、実際の女優の仕事はほとんどなく、収入源はほぼすべてアルバイト。
週8シフトというと、一瞬「?」となりますが、ダブルシフトを組むことで、週に8回の勤務が可能になるんです。
うなぎ屋、寿司屋、そば屋、カフェ……掛け持ちでこなすには、相当な体力と精神力が必要だったはず。

週8って、聞いてるだけでクラクラしちゃうわ…!
しかも、生活費をまかなうためには1日中働いても足りないくらい。
深夜の帰宅後に、翌日の台本読みやオーディション準備をすることもあったそうです。
女優の卵というより、バイトのプロと言ったほうが正確かもしれません。
実は調理師免許持ち!現場では“即戦力”扱いだった
意外かもしれませんが、松本若菜さんは高校卒業後に調理師免許を取得しています。
これはただの資格ではなく、飲食の現場では“即戦力”として重宝される武器。
とくに寿司屋やうなぎ屋では、そのスキルが大いに活かされていたそうです。
お店側からも「ウチの社員にならないか?」と声をかけられるほどの働きぶりだったとか。

芸能界よりも飲食業の方が向いてるって思っちゃうかも…!
でも、そんなオファーにも首を縦に振らなかったのは、“女優”という目標がブレなかったから。
どれだけ苦しくても、食いつなぐ手段を手放さず、夢への細い道を踏み外さなかった。
その強さが、彼女を支えていたんだと思います。
「続けることが正解じゃない」葛藤との向き合い方
周囲の声と自己肯定感の揺れ動き
松本若菜さんの下積み時代は、とにかく長くて、出口の見えないトンネルのような時間だったそうです。
何年も芸能の仕事がほとんどなく、バイト漬けの毎日。
周囲からはこんな声もあったとか。
「若菜、まだやってるの?」「そろそろ就職したらどう?」
本当に好意からのアドバイスだったのだと思います。
でも、それを聞くたびに、心がチクチクと痛んだそうです。
自分でも分かってたんですよね、「うまくいってない」って。
だからこそ、どんどん自己肯定感が揺らいでいった。

このあたり、誰にでも経験ある感情じゃないかしら?
一方で、「やっぱり辞めたくない」という自分も、確かにいたんです。
苦しいし、成果は出ないし、誰にも評価されていない。
でも、“それでもやりたい”って気持ちは、しぶとく残っていたそうです。
だからこそ、諦める理由より、諦めない理由を数えて、日々をやり過ごしていたのかもしれません。
モチベ維持の鍵は“お風呂で褒める”ルーティン
そんな不安定な毎日の中で、松本若菜さんが意識して続けていたのが「お風呂で自分を褒める」という習慣。
一日が終わって湯船につかりながら、心の中でこう言うんです。
「今日もバイトよく頑張った」「えらい、私」「ちゃんと生きててすごい」
それは誰に聞かせるものでも、誰に評価されるものでもありません。
でも、他でもない“自分”の声で、少しでも自分を肯定してあげる時間だったんですよね。

この習慣、すごく素敵。私も真似してみたいかも。
大きな成果がなくても、自分だけは自分を信じて、励まし続ける。
それが、彼女の精神的な軸を作っていたのだと思います。
世の中には「続ける=正解」とは限らないこともたくさんあります。
でも松本若菜さんは、自分にとっての正解を、お風呂の中で少しずつ積み上げていたのでしょう。
転機となった“やんごとなき一族”での怪演

“松本劇場”と呼ばれた衝撃の演技でブレイク
2022年、フジテレビ系ドラマ『やんごとなき一族』での演技が、ついに松本若菜さんの“転機”となります。
彼女が演じたのは、上流階級の一族に嫁いできた主人公を苦しめる“小姑・深山リツコ”。
この役がとにかくインパクト抜群だったんです。
序盤から癖の強いキャラクターで、「怖すぎる」「あんな小姑いないでしょ!」とSNSでざわつき始め、次第に「逆にクセになる」「この人何者!?」と大反響。
ネットでは、彼女の登場シーンをまとめて“松本劇場”なんて呼ばれるようになりました。

最初は怖かったけど、途中から癖になってたのよね(笑)
それまで脇役やゲスト出演が多かった彼女にとって、連続ドラマでのレギュラーかつ目立つ役柄は初めてに近いチャンス。
しかも、どんなに振り切った演技でも“浮かない”存在感が、視聴者にしっかり届いたんですよね。
長い下積みで積み上げた演技力が、ようやく光を浴びることになったのです。
縁が運んだチャンス、大泉洋の推薦がきっかけ
実はその後の映画『室町無頼』への出演には、意外な縁がありました。
主演の大泉洋さんが、松本若菜さんの演技を見て「この人、すごい」と推薦したことで、キャスティングされたんだとか。
何気ないひとつの作品が、思わぬところで誰かの目に留まる。
まさに“縁が運んだチャンス”だったわけです。
しかも、大泉さんとは後に舞台やトーク番組でも共演することになり、仕事の幅がさらに広がりました。

誰かがちゃんと見ててくれるって、救われる気持ちになるわね。
松本若菜さんが人とのつながりを丁寧に築いてきたことが、仕事にもつながった証でもあります。
実力だけでなく、人柄や信頼感があるからこそ、こんなふうにチャンスが広がっていくんでしょうね。
まとめと感想|報われる瞬間は誰にでも訪れる

自分を信じ続けたからこそ、花開いた40代の成功
松本若菜さんがブレイクしたのは、40代に差しかかってからのことでした。
20代で芸能界に入り、下積みだけで10年以上。
周りが家庭を持ったりキャリアを築いたりしていく中、彼女は自分を信じて地道に進んでいきました。
普通なら焦ってしまいそうなところを、彼女は焦らなかった。
というより、「目の前の一日を丁寧に生きる」ことに徹していたように見えます。
週8バイトだって、雨漏りアパートだって、バカにしようと思えばいくらでも笑える話です。
でも松本若菜さんは、それらを“武器”に変えて、女優としての芯をつくったんだと思います。

人生、どこで花が咲くか分からないって、ほんと素敵。
決して早く咲くことだけが正解じゃない。
自分を信じて歩いていれば、どこかで報われる瞬間がやってくるんだという、希望の物語そのものですよね。
読者へのメッセージ:「頑張った時間は、無駄じゃない」
松本若菜さんの人生を見ていると、何より強く感じるのは「頑張った時間には、必ず意味がある」ということ。
たとえ表に出る結果がすぐにつかめなくても、自分の中に積み上がった努力は、絶対になくならないんです。
彼女のブレイクは偶然なんかじゃありません。
努力と、信念と、縁と、時間がゆっくり熟成して咲いた“ごほうび”です。
そしてこの物語は、彼女だけのものではありません。
誰にでも、自分のドラマがある。
あなたの中にも、きっとある。

私自身も、もう少し自分を褒めてあげたくなりました。
だから今日も、小さな一歩でいいんです。
自分を否定せず、未来を信じて。
頑張ってきたあなたにこそ、届いてほしい。
松本若菜さんのように、きっと報われる日が来ますから。