人気声優・俳優の木村昴は、音楽一家に生まれた意外なハーフです。父親はドイツ人のヨズア・バルチュで元オペラ歌手、現在は武蔵野音楽大学の准教授としてドイツ語を教えています。一方の母親は日本人の木村克美さんで、ドイツで有名な声楽家として活躍した後、現在はニューヨークに在住しています。
両親は離婚し、木村昴は7歳までドイツで過ごした後、母子家庭で日本に移住しました。妹の木村飛鳥さんはニューヨークでブロードウェイの舞台女優として活躍中です。音楽に囲まれた環境で育った木村昴の、ユニークな半分ハーフの家族構成とは一体どのようなものだったのでしょうか。
木村昴の父は元東ドイツ人オペラ歌手
人気声優・俳優の木村昴は、音楽一家に生まれた意外なハーフです。父親はドイツ人のヨズア・バルチュという元オペラ歌手で、母親は日本人の声楽家・木村克美さんです。
ヨズア・バルチュは1997年に来日し、NHKのドイツ語講座にも出演していました。もともとはライプチヒ歌劇場で活躍したオペラ歌手で、木村昴が生まれた当時はドイツ民主共和国(東ドイツ)の国籍を持っていました。
1989年のベルリンの壁崩壊後、東西ドイツが統一されましたが、バルチュ氏は東ドイツ人としてのアイデンティティを大切にしていたそうです。木村昴が7歳までドイツで過ごしていたのは、父親の影響が大きかったのかもしれません。
現在はバルチュ氏は武蔵野音楽大学の准教授として、ドイツ語を教えています。音楽の血を受け継いだ木村昴は、幼少期から父親の影響を強く受けていたことが伺えます。
オペラ歌手の父と声楽家の母、そして舞台女優の妹と、まさに音楽一家と呼ぶにふさわしい家族構成です。木村昴が声優やナレーターとして活躍するきっかけになったのは、このユニークな家族環境があったからこそなのかもしれません。
母は日本人の声楽家、両親は離婚
木村昴の母親は、日本人の声楽家・木村克美さんです。ドイツで活躍した後、現在はニューヨークに在住しているそうです。
木村克美さんは、かつてドイツで「日本のナターシャ」と呼ばれ、高い評価を受けていた実力派の声楽家です。ドイツ語オペラはもちろん、日本語の歌曲でも活躍し、海外でも知られる存在でした。
一方で、夫のヨズア・バルチュ氏とは離婚してしまいました。木村昴が7歳の時に両親が別れ、母子家庭で日本に移住することになったのです。
離婚の理由は明らかにされていませんが、音楽一家ならではの価値観の違いや、国際結婚ならではの文化の違いなどが影響していたのかもしれません。
しかし、木村克美さんは母親として木村昴の教育に力を入れていました。4歳からバイオリンの英才教育を施し、オーケストラのマスターを夢見ていたそうです。「ジャイアンの母親」のようなタイプで、厳しい一方で新しいことを始める時は背中を押してくれる存在だったと言われています。
母子家庭で育った木村昴は、母親の影響を強く受けながら音楽の道を歩んでいったのでしょう。声優やナレーターという職業に就いたのも、音楽一家に生まれたがゆえの環境があったからこそなのかもしれません。
母の厳しい教育と音楽一家の夢
木村昴の母親・木村克美さんは、音楽一家の伝統を受け継ぐべく、木村昴に対して厳しい教育を施していました。
4歳からバイオリンの英才教育を始め、将来はオーケストラのマスターを夢見ていたそうです。「ジャイアンの母親」のようなタイプで、新しいことを始める時は背中を押してくれる一方で、音楽の練習に対しては厳しい指導を行っていたと言われています。
母親の木村克美さん自身も、かつてはドイツで「日本のナターシャ」と呼ばれ、高い評価を受けていた実力派の声楽家です。ドイツ語オペラはもちろん、日本語の歌曲でも活躍し、海外でも知られる存在でした。
そんな母親の影響もあってか、木村昴は幼少期から音楽に親しみ、バイオリンやピアノなどを習っていました。しかし、母親の期待に反して、木村昴はあまり音楽の道には進まず、声優・俳優の道を選んだそうです。
それでも、音楽一家に生まれたことで、木村昴は音楽的センスを身につけることができました。声優業においても、歌唱力や音楽性が評価されています。例えば、アニメ「ゲゲゲの鬼太郎」の主題歌を担当したこともあります。
母親の厳しい教育は、木村昴にストレスを与えた一方で、音楽的な素養を身につけさせる原動力にもなったのかもしれません。音楽一家に生まれたことで、声優・俳優としての表現の幅が広がったとも言えるでしょう。
妹は舞台女優、仲良し兄妹の絆
木村昴には、妹の木村飛鳥さんがいます。妹の飛鳥さんはニューヨークでブロードウェイの舞台女優として活躍しています。
音楽一家に生まれた2人は、幼い頃から音楽に親しみながら育ってきました。母親の木村克美さんは、木村昴に4歳からバイオリンの英才教育を施していたそうですから、妹の飛鳥さんにも同様の教育があったのかもしれません。
しかし、2人の進路は異なり、木村昴は声優・俳優の道を、妹の飛鳥さんは舞台女優の道を選びました。音楽一家に生まれながらも、自分なりの道を歩んでいる様子がうかがえます。
そんな異なる進路を歩む2人ですが、木村昴は妹が遠くニューヨークへ行くことを寂しがっていたそうです。SNSで妹の活躍を応援するなど、仲の良い兄妹関係が伺えます。
実際、木村昴は過去のインタビューで「妹は私の宝物」と語っています。2人が音楽一家に生まれたことで、芸能界入りのきっかけになったかもしれません。しかし、お互いを思いやる気持ちは変わらず、家族の絆は深いようです。
離れた場所で活躍する姉弟ですが、音楽一家の伝統を受け継ぎながらも、それぞれの個性を発揮できている点が素晴らしいと言えるでしょう。木村昴と妹の飛鳥さんの活躍が、これからも期待されます。
ハーフだが日本語を覚えた経緯
木村昴はドイツ人の父と日本人の母を持つハーフですが、日本語を話せるようになったのには経緯がありました。
木村昴は7歳までドイツで過ごしていたため、当初は日本語を全く話すことができませんでした。しかし、母親の木村克美さんの勧めで、小学校に入る前から劇団に入ることになります。
劇団に入ったことで、先生やクラスメイトと日本語でコミュニケーションを取る機会が増えました。最初はジェスチャーなどで意思を伝えていましたが、徐々に日本語を覚えていったそうです。
木村昴は後に「劇団に入ったおかげで日本語を話せるようになった」と語っています。ハーフとして生まれながら、母国語を話せなかった木村昴にとって、劇団は日本語を身につける大切な場所となったのです。
一方で、木村昴は幼少期からドイツ語も学んでいました。父親のヨズア・バルチュ氏の影響もあり、ドイツ語とドイツ文化に親しむ機会も多かったと言われています。
このように、木村昴はハーフとして2つの言語と文化に触れながら育ちました。日本語を話せるようになったことで、声優やナレーターとしての活躍の場が広がったと考えられます。
ユニークな家族環境と、母親の働きかけにより、木村昴は日本語とドイツ語の2か国語を操ることができるようになりました。これが、のちに木村昴の多彩な活躍につながっていったのかもしれません。
まとめ
以上が木村昴の半分ハーフの家族構成と、そこから生まれた独自の経験についてでした。
木村昴は音楽一家に生まれ、父親は元東ドイツ人のオペラ歌手、母親は日本人の声楽家でした。両親は離婚し、母子家庭で育ちましたが、母親から厳しい音楽教育を受けました。妹は舞台女優として活躍するなど、家族全員が芸能一家でした。
また、ハーフとして生まれながら当初は日本語を話せず、劇団入りをきっかけに日本語を覚えていったという経緯もありました。
このようなユニークな家族環境と経験が、木村昴の多彩な活躍の礎となったのではないでしょうか。声優、俳優、ナレーターと様々な分野で活躍する木村昴の原点には、音楽一家に生まれたことと、ハーフとしての2つの文化が大きな影響を与えていたと言えそうです。
今後も木村昴の活躍が期待されますが、その原点にあるのは、特殊な家族構成と、そこから生まれた独自の経験なのかもしれません。